フィンガーピッキングデイ2012優秀賞、2013優秀賞、オーディエンス賞、オリジナルアレンジ賞の3冠を獲得。確かなテクニックとメロディアスな音楽が人気の矢後憲太さんに、ギターのルーツや、ギター、音楽に対する考え方、ファーストアルバム「85.」などについて様々なお話をしていただきました。
【バックナンバーAcoustic Guitar World vol.50より】
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ーギターを始めたきっかけを教えていただけますか。
矢後憲太(以下、矢後):父がギターを持っていて、長渕剛さんの曲をよく弾いてました。アコースティックギターはずっと家にあったのですが、小さい頃は音自体には親しみはあっても興味は持てず、弾いてみようとは思いませんでした。中学生の頃に、父が押尾コータローさんの「Dramatic」というアルバムを買ってきて、ギターだけの音楽もあるということを知りました。僕は5才からピアノを弾いていたので、歌の無い音楽には親しみはずっとあったんです。でも、最初は押尾さんのアルバムはギター1本で弾いてるとは思わず、オーバーダビングで作っているのではないかと半年くらいは思ってました。雑誌を読んで全部一人で弾いていることを知ったのですが、その時の衝撃はものすごく強く、押尾さんのDVDを見たらやっぱり一人で弾いているので、これはやってみたいと思ったんです。
ー最初にフォークソングなどは弾いてはいなかったのでしょうか。
矢後:小学生の頃に父から「お前も長渕をやってみろ」と言われたのですが、2,3ヶ月くらいでやめてしまいました。当時は理解できなかったんですね。長渕剛さんの良さがわかったのは、ずっと後でした。 ギターを持つまでずっとピアノを弾いていて、クラシックの中でもショパンなど流麗で華麗な曲が好きでした。このエッセンスが今でも生きていると思います。こういうのをずっと聴いていたので、ギターでもこういったフレーズを入れたくなるんです。
ーギターを始めてからは、押尾コータローさんの曲をコピーしていたのでしょうか。
矢後:そうですね。新譜が出たらCDとスコアを買ってひたすら弾いてました。最初に聴いた「Dramatic」は全部コピーしたくらい、押尾さんにはまってました。
ー今の演奏スタイルは押尾さんの雰囲気はあまり感じないと思います。
矢後:最初は押尾さんのコピーばかりでしたが、Youtubeが広がり出してきて、いろいろな動画を見る事ができるようになりました。そこでアコースティックギターのインストゥルメンタルを探しまわったんです。ここでトミー・エマニュエルやアンディー・マッキーなど世界で活躍するギタリストを知りました。こういうのを見て、ギター1本でもいろいろなスタイルがあることに気がつきました。これは危機感を感じたんですね。押尾さんの音楽もいろいろなエッセンスが入っており、いろいろなルーツなどを吸収して出てきた事に気が付いたんです。そうしたら、押尾さんだけでなく、いろいろなものを弾いてみようと思いました。高校に入ってすぐくらいの頃ですね。いろいろなことをやっているうちに自分で曲を作ってみようという気になりました。ですが、作ってみたら押尾さんぽい曲ばかりでしたよ、当初は(笑)。
ー最初は押尾コータローさんに影響を受けたようですが、その後どのようなギタリストに影響を受けていますか。
矢後:僕は栃木出身なのですが、やはり地元の小川倫生さんですね。地元のCDショップで小川さんの「太陽と羅針盤」を入手したのですが、その頃はまだ押尾さんばかり聴いていました。小川さんのアルバムを聴いた時、1曲目から目の前に景色が広がったんです。こんな印象深い音の世界があるのかと驚きました。それまでは自分でやってきたピアノとギターを分けて捉えていたところがあるのですが、小川さんを聴いた時にこれがつながったんです。音楽というのはどんな楽器を使おうと、自分で表現するということに変わりはないということに気付きました。これに気付いてから押尾さんの音楽を聴くと、より納得できましたし、より多くのギタリストやギターでない音楽の感じ方が変わりました。それくらい小川倫生さんの音楽というのは僕の中で大きな存在です。
ー大学は北海道に行かれてますね。
矢後:はい。ギターとは全く関係のない大学でしたが、大学に入ってからライブ活動を始めました。当初はカヴァーとオリジナルを半分くらいでしたね。月に2本くらいです。
ー北海道は結構ソロギタリスがいる気がします。周りにはいましたか。
矢後:確かに北海道は多いと思いますが、僕がいたのは釧路で、札幌などからは結構離れています。釧路の方はアマチュアもそれほどはいなかったです。北海道に行って感じたのは、自然が豊かなことです。僕は関東生まれで大学から北海道に行きましたが、関東に無い景色、気温というのがゴロゴロ転がっていて、環境の変化を痛切に感じました。釧路湿原や、街中に狐が歩いてたり(笑)。夜になればとても空気が澄んで、星空が美しく、圧倒的なスケールの自然というのが、曲を作るための感性をすごく刺激してきます。これなら北海道にたくさんのギタリスト、アーティストがいらっしゃるのがわかる気がしました。自分も行ってみて、曲ができるきっかけをもらったり、すごく影響を受けました。行ってよかったと思います。大学の4年間で、ギターでやりたいことの方向性が見えましたし、それは大学に行く前とは全然違っているんです。
ーフィンガーピッキングデイに出場されたのは大学生の頃でしょうか。
矢後:はい。最初は20才の時です。雑誌を見てコンテストの存在を知ってはいても、自分で出ようとは思っていなかったんです。20才の時に何となく応募してみようという気になりました。音源審査だったら関東まで行く必要もないし、とりあえず送ってみたら、審査を通ってしまったんです。これは自分の中でモチベーションが上がりましたね。気合いを入れて横浜に行きましたが敗退しまして、やはりすごい人達が世の中にはたくさんいるんだなと思いました。この年は川畑トモアキさんが優勝したのですが、音数を散りばめられたり華麗な世界を体現しているのを目の当たりにしたのは衝撃的でしたね。
コンテストはこの後も出たいなと思ったのですが、翌年は予選で落ちてしまいました。その年だったと思いますが、中川イサトさんの北海道ツアーがありまして、小松原俊さん、ペータさんの3人でまわっていました。この時に1泊2日のセミナーがあり、それに参加したんです。ここで、僕のギター人生の中で小川倫生さんに出会った時以来の転機がありました。初日はイサトさんがアレンジしたカヴァー曲などをコピーして、それを3人が指導していくスタイルでした。僕はブルースの題材を選びました。その時に小松原さんに、イントロの音3つの出し方だけをマンツーマンで1時間くらい指導していただきました。これはブルースだから、もっとけだるい感じを出さなければ、など、音楽を奏でる上で微妙なニュアンスを出す必要があることを知りました。セミナーを受ける前は、たった音3つだと思っていましたが、冒頭の音3つとはいえその大切さがよくわかりましたね。僕が弾くと「違う」と言われ、「今のは良かった」「また違う」というようなことをずっとやってたんです。このブルースはこういう人達のこういう音楽だから、こう弾くと雰囲気が出るよ、といったような感じで、気付きが満載でした。僕の中のギターの扉をひたすら開け続けられた1時間でしたね。小松原さんに言われなければ、僕の中では一生こういう発想は無かったんじゃないかと思えるくらい、すごく衝撃的でした。最初はまだやるの、とか思いましたけどね(笑)。
小松原さんは曲の匂いとおっしゃってましたが、この匂いやニュアンスを出せるかというのが楽曲の世界を作るのには大切だと言われ、これができれば君は本物になれるよ、と言われました。僕は本物になりたいと思って考え方が180度変わり、音を一つ一つ出す練習に立ち替わりました。右手をこんな風にしたらこんな音が得られるとか、こういう音を出したいからこういうタッチにしようとかの気付きを得たんですね。このセミナーで全然違う方向性となりました。
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矢後憲太 http://acoustic-kenta-y.jimdo.com
1990年栃木県生まれ。フィンガースタイルギタリスト。多彩な奏法を駆使し、様々な情景、感情、物語などをギター1本でありありと表現する。色彩感溢れるその豊かな音色は、聴く者を色とりどりの世界へと誘う。
2012年、モリダイラ楽器主催全国規模フィンガーピッキングコンテストにて優秀賞を受賞。
ライブカフェ宮内家でほぼ毎週木曜日ライブを行い、多くのギタリストとも共演する。
2013年、同コンテストにて優秀賞、オリジナルアレンジ賞、葉山ムーンスタジオ賞 (オーディエンス賞)の三冠を受賞。
2014年、自身初となるフルアルバム『85.』を葉山ムーンスタジオレーベルよりリリース。
アコギソロでライブ活動を展開。ライブやイベントの出演に加え、ラジオ番組への出演やパーソナリティとしての活動、楽曲提供、バレエコンサートとのジョイント、アート作品展とのコラボレーションなど、他分野に渡って精力的に活動を展開。
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「85.」
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1.夢の旅路
2.85の夏
3.にびいろの風
4.Amazing Grace
5.群青と茜色
6.斜陽
7.君と僕の物語
8.A Whole New World
9.遠き春
10.My Way
11.風薫る季節
2,000円(税込み2,160円
CD販売ページ
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