Acoustic Guitar World
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ーどのようなギタリストの影響を受けましたか。

ザビエル:先ほどの中川イサトさんや、有山じゅんじさんも影響を受けましたね。有山さんの1975年に出された「ぼちぼちいこか」は全部コピーしました。初めて有山さんのライブを見たときは、唯一無二のスタイルに衝撃を受けました。他にもシバさん、内田勘太郎さん、吾妻光良 & The Swinging Boppersなど…好きでした。
ブルースではロバート・ジョンソン、ブラインド・ブレイク、ブラインド・ボーイ・フラー、ミシシッピ・ジョン・ハート、ライトニン・ホプキンス、ロニー・ジョンソン、ビッグ・ビル・ブルージー、マディ・ウォーターズ…などなどです。
ジャズではジャンゴ・ラインハルト、ステファン・グラッペリ、ファッツ・ウォーラー、ルイ・アームストロング、キャッツ&ザ・フィドルなど、カントリーではマール・トラヴィス、チェット・アトキンス、ドック・ワトソンなどで、その他ライ・クーダー、デヴィッド・リンドレー、ボニー・レット、マリア・マルダー、ジョセフ・スペンス 、ヨーマ・コーコネン、エイモス・ギャレット、ジョン・ミラー、レオン・レッドボーン、ハッピー&アーティー・トラウム、ダコタ・デイヴ・ハルなど、ギタリストだけではないですが、いろいろなミュージシャンが好きですね。

アルバイトをしていた「むい」でジム・クウェスキンのジャグバンドのレコードを聴いたのは衝撃でしたね。今はジャグバンドが流行って横浜でジャグバンドフェスティバルというのもありますが、当時はジャグバンドは日本に2つか3つくらいで、横浜の「アンクル・ムーニー」、豊橋の「ジャムポット」、神戸の「春待ちファミリーBAND」くらいだったと思います。
「むい」でもバイト仲間が「むいジャグバンド」というのを作っていたのでそれに影響され、自分でも大学のフォークソング愛好会の仲間と「たいな亭」というジャグバンドを作りました。アメリカのブリキ製のウォッシュボードが手に入らなかったので、日本の木の洗濯板で代用してました (笑)。僕がギターを弾いて歌い、友達がマンドリン、バンジョー、洗濯板、ジャグ、カズー、たらいのベース、を弾いたりして、京都を中心にちょろちょろとライブ活動をしていました。
ザビエル大村
あと1977年、僕が17才の時にマール・トラヴィスが来日したんです。静岡にいた時ですが、マール・トラヴィスが静岡に来ると新聞に載っていて、マール・トラヴィスの名前は知っていたのでどうしても見たいと思いました。当時はライブハウスというのはなくて、カントリー系のスナックに来るということでした。お店に電話をして高校生でも見に行っていいか聞いたところ、一度昼間に来なさいとマスターに言われました。お店に行ってどんな音楽が好きなのか聞かれたり、ギターを弾いてみたりして、じゃぁ~そんなに好きならタダで見せてあげるから手伝いに来なさい!、と言われました。
当日マスターと静岡駅にマール・トラヴィスを迎えにいきました。奥さんでシンガーのベティ・ルーさん、引率する日本人の方がいて、僕は駅のホームからマールの泊まるホテルの部屋の中までギター運びをさせてもらいました。それでリハーサルから見させていただき、右手の指二本、2フィンガーでバリバリとギャロッピングスタイルのギターを弾いているのを超至近距離で見て、ぶったまげましたね。生まれて初めて握手した外国人がマール・トラヴィスで、それが僕の一生の自慢です!(笑)。

この時のライブをカセットで録音させてもらったのですが、今、豊田渉平くんとギャロッピング普及委員会というのをやっていて、ツアーを回るときにその音源をライブの前後に流したり、その時に書いてもらったマール・トラヴィスのサイン色紙を持ち歩いて展示しています。

高校~大学生の頃は、まだホンマもんのブルースマンがぎりぎり生きていました。ブルース・ブームもあっていろいろな人が来日してました。デビューして間もない憂歌団と一緒にスリーピー・ジョン・エスティスとハミー・ニクソンのコンサートを名古屋まで見に行ったり、ライトニン・ホプキンス、ブラウニー・マギー&サニー・テリーも見たし、ピアニストのサニー・ランドスリム、ロバート・ジョンソンと血はつながっていないけれども義理の息子であるロバート・ジュニア・ロックウッドなども生で見ました。

15~6の頃からいろんなルーツ系の音楽を聴き、色々なギタリストの演奏を生で見聞きしました。あの頃は若くて多感な頃だったので、どんどん吸収していきましたね。今でもこの頃の「蓄え」で生きています(笑)。

ー大学を卒業してからはどのような活動をされたのでしょうか。

ザビエル:当時は売れている音楽が嫌いで真逆のことをしていたので、自分の音楽で生活できる訳がないと思ってました。だから大学を出てもプロのギタリストになろうとは思いませんでした。コピーライターブームだったので広告の勉強をしたり、ラジオ局に勤めたり、その後は24年間ずっとテレビのコマーシャルの制作会社で働いていました。その頃は寝る暇もないくらい忙しくてギターを弾く時間がなく、音楽の活動からは離れていました。
>ザビエル大村
2000年の少し前くらいに「爆風スランプ」のドラマー・ファンキー末吉さんと知り合いになりました。彼が大阪に来た時は自分の家のように僕の家に泊まりに来るようになりましてね 。僕は朝から仕事に行って、帰って来たら彼が晩飯を作って待ってるとか(笑)。毎日毎晩二人でよく飲んでいましたね~。それである時彼が「一宿一飯のお礼や!」といって歌を作ってくれたんです。「人は何で酒を飲むのでしょう」という歌です。それを僕の大学の先輩で「TOPS」というバンドをやっていた三井雅弘さんと一緒にやれば〜!との鶴の一声で、「三井はんと大村はん」というユニットを始めました。それが面白くてファンキーさんがたくさん作詞作曲をしてくれたんです。曲がたまってきたので録音しようという話になり、どうせならアルバムを出そうということなりました。2000年にファンキー末吉プロデュースでアルバムをリリースして、サラリーマンとの兼業で音楽活動をするようになりました。
その後本業の仕事の方で色々あってサラリーマンを辞め、それ以降はライブやギターを教えたりなどして音楽を生業としています。


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ザビエル 大村 プロフィール http://www.eonet.ne.jp/~xavier-ohmura/

1960年愛知県名古屋市生まれ。
中学、高校の頃からブルース、ラグタイム等アメリカ・ルーツミュージックにのめり込む。
2000年にファンキー末吉に見出されキングレコードよりデビュー。
ソロでのライブ活動の他、「中川イサト・ギターセミナー」の准教授としてセミナーをサポート、自身でもギター教室を開く。
2013年ソロアルバム「Good Time Tonight」リリース。
2015年中川イサト氏とのデュオアルバム「Back to Roots Music」をリリース。
2015年中川イサト・豊田渉平と共に「ギャロッピング普及委員会」を旗揚げし会長に就任。
Back to Roots Music
Back to Roots Music
発売日:2015年10月7日
販売価格:3,000円(税込)

1.My Creole Belle
2.Orange '15
3.僕のいるところ
4.Octopus Dreaming
5.吉祥寺1972
6.今夜はいい気分
7.Deep River Blues
8.南風(ぱいかじ)
9.俺が旅から帰った時は
10.I'll See You In My Dreams
11.That Lucky Old Sun
12.Sleep Walk

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Good Time Tonight
Good Time Tonight
発売日:2015年10月7日
販売価格:3,000円(税込)

1.今夜はいい気分
2.Truckin' My Blues Away
3.真夜中のブルース
4.Riverside Walking
5.Zabby's E-Blues
6.ウヰスキー・リバー
7.Waltz For Joseph
8.ビール色の夕焼け
9.ウォーキング・ブルース
10.スローダウン
11.輝く明日へ
12.チャリンコ・ラグ

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