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ギタリストインタビュー〜小松原俊
ソロギター界のパイオニアの一人である小松原俊さん。ギタリストになるまでの経緯やギターや曲作りなどについて、様々なことをお話しいただきました。

(バックナンバーAcoustic Guitar World vol.30より)
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ギタリストになりたいということを、そんなに強く思っていた訳ではないんです

ーギターを始めたきっかけを教えていただけますか。
Acoustic Guitar World vol.30
小松原俊(以下、小松原):ギターを始めたのは中学2年生の時です。僕が中学生の頃はニューミュージックにちょっと足を踏み入れたような、フォークブームでした。吉田拓郎、井上陽水、数年後にユーミンが出た時期です。かぐや姫とかギターをフューチャーしたアルバムが多かったので、こういった弾き語りをしていましたね。今のようなインストではなく、歌を歌ってました。

ー誰に一番影響を受けていましたか。

小松原:吉田拓郎ですね。僕の友達のお姉さんが吉田拓郎ファンで、ギターを弾いていたんです。それを見て、ギターに興味を持ちました。吉田拓郎、かぐや姫、泉谷しげるなど、ギターが入っている曲をどんどんコピーしていきましたね。そのうち弾き語りのオリジナルを作るようになっていきました。高校生の頃にはライブハウスに出てましたよ。高校一年生でライブデビューです。中学生の時も、よその町の子供会に呼ばれて歌ったりしてました。今考えれば弾けるうちに入らないけど、当時それなりに弾けていたので。田舎だからスリーフィンガーで弾ける人でしたね(笑)。
ライブハウスに出るようになってから、一層オリジナルに力を入れていきました。それと、ライブハウスはたくさんのレコードがあって、いろいろな音楽に触れるチャンスでしたね。そこで黒人のブルースなどを知りました。黒人のブルースを聴いていると、日本人のフォークとは全然違う世界を持っていて、ますますギターにのめり込んでいきましたね。
こうしていろいろな音楽を聴いているうちに、中川イサトさんの「1310」というアルバムに出会いました。これはびっくりしましたね。それまでは黒人のブルースでしたが、日本人でもいるじゃないかと。それで、イサトさんのコピーにはまりましたね。これらの音楽で、ギターのテクニカルな部分に惹かれていきましたが、インストだけではなく、歌ものでもその中のテクニカルな部分に興味を持ちました。ギターサウンドに興味が強くなってきたんですね。

同級生が22才で亡くなったのですが、この同級生が小学校の時はソフトボールのキャプテン、中学では陸上部のキャプテンをしていて、彼がライブハウスというものを、僕に教えてくれたんです。僕は亡くなる一週間前に会ったのですが、その時、音楽をやりたいなら東京に出なきゃ駄目だよ、と言われました。亡くなった後にこの言葉を思い出して、次の年、23才の春に東京に出てきました。 ただ、ギタリストになりたいということを、そんなに強く思っていた訳ではないんです。なんとなく思ってはいましたが、それほど信念があったということではありません。 アルバイトをしながら音楽をしていた時、中川イサトさん、岡崎倫典さんに出会い、2人の影響を大きく受けて、どっぷりとインストにはまっていきました。出会ったことで、よりどっぷりとはまっていきましたね。

ー東京に出てからもインストだけではなかったのでしょうか。

小松原:そうですね。いろいろなことをやってました。お芝居の音楽もしていました。曲を作るというよりは、お芝居に出て、覆面の歌うたいという役で、ギターを持って出ました。曲も作り、脚本の中に歌詞があって、ギターを弾きながら歌いました。
意外でしょうが、歌のCMソングもありましたね。いろいろなつながりで、たまたま来たような話です。

ーその頃はミュージシャンのバックでの演奏なども多かったのでしょうか。

小松原:少しずつですが、レコーディングやステージの仕事をしてましたね。
僕がイサトさんと出会って交流しはじめた頃は、イサトさんが大阪から東京に一時出てきていた時です。それで会う機会も多くなり、自分でもインストの曲を作りたい、というようになってきました。
若い頃にも怪しいインストの曲は作ってましたけどね(笑)。中学生の時にオープンEmとかで弾いてましたよ。
インストをやろうというと、インストで生計立てるということなんでしょうが、当時はできるできないではなく、単純にあんな曲を作りたいと思ったんです。


NSPの天野滋と出会いました。これが大きかったんですね

ーファーストアルバム「Dear」が発表されたのが1992年でしたね。

小松原:そうですね。89年くらいだったか、NSPの天野滋と出会いました。これが大きかったんですね。最初は天野さんがソロでコンサートをやる時に、サポートでギターをやらないかという話が出たのですが、これはうまく進展しなかったんです。それでも天野さんは僕に、「普段何やってるの」と聞くので最近はインストをやってますというと、「聴かせてよ」ということだったのでテープで聴いてもらいました。そうしたら、「いいじゃん」と言ってくれて、「また曲が出来たら聴かせてよ」というように興味を持ってくれました。それで曲が出来たら聴いてもらうと、「これもいいじゃん。曲がたまったらCD作ろうよ」という話をしてくれました。
それで、どんどんそういう方向に向かっていってCDを作ることになりました。
「Dear」はアーベンドという会社から出して、その後は天野さんが事務所作るから、ということで、社長一人、アーティストが僕一人で2枚目以降のアルバムを出していきました。天野さんとの関わりは大きかったですね。

ーソロの演奏以外もサポートやレッスンなどもしていたのでしょうか。

小松原:サポートの仕事はあまりしてなかったですね。僕はギターのサポートは不向きだと思うし、ギターの先生というのも不向きだと思ってます。

ーレッスンやセミナーなどはあまりやらないですか。

小松原:セミナーは小さいところでたまにやりますが、その時だけのものです。長期のスパンで、入門編でこういうフレーズやテクニックを教えて、順序立ててある一定のレベルまで仕上げていくようなカリキュラムを作るタイプではないですね。
聞かれれば教えることはできると思うけど、頭の中にカリキュラムがあって、こういう順序で教えていけば効率がいいとかの設計はできない。先生には向いてないですね。
セミナーなどで僕の理論で僕はこう考える、というのはいいですが、すでにある音楽理論書を教えることとは、違ってきます。自分の曲で、こういう風に弾いてますとか、こういうタッチですとかはいいのですが、先生というのはもっと柔軟で、オールマイティでないと駄目でしょう。僕はソロでやるのがいいんですね。
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小松原俊 
http://www.shun-komatsubara.com

1958年山口県生まれ。 1981年上京、1985年頃から様々なアーティストのサポート、レコーディングを行う
1992年ファーストアルバム「DEAR」発表
1994年セカンドアルバム「SCENE」発表
1997年サードアルバム「Naturally」発売
2004年コロンビアよりベストアルバム「Treasures」発売
1995年より現在にいたり、藤田恵美のライブやレコーディングに参加。独自の世界観あふれるライブ活動を全国で展開でファンを魅了している。まさに日本を代表するアコースティックソロギタリストである。

Best Album「Treasures」

Treasures

2003/12/17発売
日本コロムビア

1. Fragile (新曲)
2. くじら (再録音)
3. 文明開化
4. 走る煙突
5. 桃源郷
6. Mother And Father (再録音)
7. タケル
8. Voyager (再録音)
9. Hiroshige (再録音)
10. Camel
11. ステッセルのピアノ
12. Love Song (再録音)
Amazonで購入







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