スティングのサポートギタリストを長年つとめ、ソロではギターのインスト音楽での活動もしているドミニク・ミラー。影響を受けた音楽やフィル・コリンズやスティングとの出会い、その中でどのような意識で活動をしているか、ギタリストとはどうあるべきかを感じることができるインタビューとなっています。
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ー音楽を始めたきっかけを教えていただけますか。
ドミニク・ミラー(以下、ドミニク):僕はアルゼンチン生まれで、子供の頃はアルゼンチンのフォークミュージックやブラジル、ベネズエラなどのサンバが常に自分の周りにある環境の中にいたんだ。食事の後のキッチンで、よく姉と一緒に聴いていたね。それで、ギターも姉にどういう風に弾いているのかコードを聴いたりしていたんだ。これが音楽を始めたきっかけで、これらはすぐに卒業してブラジル音楽を始めたんだ。ビートルズやローリング・ストーンズも聴き始め、彼らから学んだことはとても多いね。
ー子供の頃にアメリカに移っていますね。
ドミニク:11才の時で、この頃からいろいろな音楽を聴くようになった。ブルース、ジャズ、昔のR&B、ソウルミュージックなどかな。ここで視野が大きく広がったね。ミュージシャンでいうとジェイムス・テイラー、キャロル・キング、ボブ・ディラン、ポール・サイモン、スティーヴィー・ワンダーなどだ。アルゼンチンを出た後は、アメリカやヨーロッパの音楽をたくさん聴くようになったね。
ーギターはどのようなジャンルを演奏されていたのでしょうか。
ドミニク:姉からギターを教わり、両親から先生を紹介されて15才からクラシックギターを始めたんだ。クラシック音楽がとても好きになったね。クラシックギターは今でもうまくないけど(笑)。
ーラテンやポップな音楽を聴いてはいても、演奏はクラシックだけだったのでしょうか。
ドミニク:いや、アルゼンチンにいた11才まではラテン音楽やビートルズの曲を弾いていて、15才まではアメリカ、ヨーロッパのいろいろな音楽の曲を弾いていたね。周りはビートルズなどが多かったけど、13,4才の頃はボサノヴァをよく弾いていた。ジャズも演奏していて、ジャズのコードやリズムはボサノヴァから使えたね。
今でもボサノヴァで得た知識を利用して曲を作っているよ。エレキギターでロックを演奏する時も、この時のラテンアメリカの影響というのは色濃く残ってるだろうね。
ークラシックギターを勉強し、その後バークリー音楽大学に行かれてますね。
ドミニク:16才の時だね。この時には絶対に音楽で生きていくと決めていたので、バークリーを選んだんだ。自分の道がわかっていたので、同年代の人たちとは考え方も違っていたよ。僕は目が覚めて、過去のことは考えずに前に進むだけだった。この時、僕は悪魔に魂を売ったんだ(笑)。
ーバークリー音楽大学というのはジャズ中心の学校だと思います。
ドミニク:バークリーで学んだのは音楽理論というよりは、ミュージシャンとしてどのように生きていくかということだね。ミュージシャンとしてどうすれば成功していくかということだ。もちろん価値のある音楽理論も勉強していたよ。
ー最初はサポートなどの仕事をされていたのでしょうか。
ドミニク:19才の時にはバーやクラブで演奏する仕事を始めたんだ。自分の作った曲を演奏していたね。自分の音楽にはクラシックやボサノヴァなどが全て含まれている。なので、レストランやクラブなどのBGMとして重宝されたんだ。これは自分にとっていい練習であったし、お金をもらうこともできた。こういった所でいろいろな人と知り合うことができ、連絡をもらうようになったんだ。これらの連絡から、演奏の依頼を全部引き受けてどんどんセッションしていき、機会も増えて規模も大きくなっていった。
1980年代中頃からスタジオでの仕事が増えてきて、自分にはいろいろな音楽に対応できるスキルがあることがわかってきた。エレキギターも弾いていたよ。そして、1980年代の終わりにフィル・コリンズと出会い、自分の人生に大きな変化が現れたんだ。ここで扉が開いたね。彼の最大のヒット曲の一つでもある「Another Day In Paradise」でアコースティックギターを弾くことができたんだ。フィル・コリンズは最初はアコースティックギターを入れるつもりはなかったのだが、たまたま僕がギターを弾いていたら、それを聴いて「これでいこう」という話になったんだ。
ー1990年代になってからはスティングのサポートをされていますね。
ドミニク:フィル・コリンズがプロデューサーで、スティングの作品を作るという話から始まった。僕はフィル・コリンズと一緒に演奏しているということで、80年代後半にはだいぶ名前が知られるようになっていたね。そんな中で、スティングがギタリストを探しているということで推薦されたんだ。
この時はオーディションがあり、スティングの「Fragile」を知っているかと聴かれたけれどラジオで少し聴いたことがあるくらいだった。それでもこの曲を聴くと、これなら自分でも演奏できると感じたね。子供の頃にラテンアメリカで育った土壌があるので、すぐに対応ができたんだと思うよ。
「Fragile」という曲のアプローチやリズムが自然に自分の中にあり、すぐに対応ができたんだ。それをスティングが気に入ってくれたんだね。
ーフィル・コリンズに紹介されたからといって、すぐにメンバーになった訳ではなかったんですね。
ドミニク:フィル・コリンズは自分の人生で最も重要だと思っている。自分のキャリアの中でフィル・コリンズが重要という意味ではなくて、彼によってセッションの中の重要さというものを、始めて勉強できたことだ。そこで学んだことは、ただ曲を演奏するということだけではなく、いかに自分自身をその曲に捧げることができるかということだ。フィル・コリンズに会うまではスタジオに呼ばれても周りの人をどうやって驚かすか、どうやって印象に残すかなど、自分を大きく見せることだけを考えて弾いていたけれども、フィル・コリンズと出会って、初めて自分が曲の一部になるということを学ぶことができた。そこからは曲に何が合うかということを自分で考えて、いろいろな人が使ってくれるようになったんだ。今自分が演奏しているものは、練習をすれば誰でも弾けるようになると思うよ。しかしそういったことではなく、いかにシンプルに自分の技術を曲に捧げられるかということが大事なんだ。
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