4才からアメリカに移り住み、アメリカのINTERNATIONAL THUMB PICKING CHAMPIONSHIP優勝、フィンガー・ピッキング・デイ2012最優秀賞を獲得し、アメリカから日本に拠点を移し、International Fingerstyle Guitar Contest 2013で3位入賞したShohei Toyodaのインタビューを2号分掲載します。
vol.20ではこれまでの活動の経緯などを、vol.40ではウィンフィールドのコンテストの様子をお話しいただきました。
【バックナンバーAcoustic Guitar World vol.20、40より】
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ーギターを始めたきっかけを教えていただけますか。
Shohei Toyoda(以下、Shohei):父が若い頃にギターで音楽活動をしていたらしく、家にその当時のクラシックギターがありました。父は仕事のために長期で海外に行くことが多かったのですが、現地の人たちと仲良くなるためにギターで流しのようなことをやったようです。そういうことができると、海外でウケるようなんですね。父にとってギターは思い入れがあるようで、僕が4才くらいの時にそのギターを持っている写真もありました。母がピアノの先生だったので、1年くらいピアノを習っています。小さい頃から音楽は身近にあったのですが、自らの意思で音楽をやりたいと思ったのは中学2年生くらいです。それまでにもピアノをやったり、吹奏楽でフルートもやったのですが、どうも自分に合わないというか、やらされてる感がありました。
まず興味をもったのは、J-POPです。確か、最初に買ったCDはhideの「ever free」で、ロックがとても好きでした。日本の番組をアメリカで見ていたのですが、ゆずやSomething ELseなどを見て、アコースティックギター1本だけで世界を作れるということに衝撃を受けましたね。この頃は日本に帰った時にSomething ELseのCDやうた本を買ったり、日本の音楽ばかり聴いていました。
ー当時通っていた学校は日本人のための学校だったのでしょうか。
Shohei:両方通っていました。週5でアメリカの公立の学校に行って、土曜日だけ日本人の補習校に毎週行ってました。ここでいろいろ情報交換をしていましたね。授業なんてどうでもいいんです(笑)。唯一日本語で話せる日で、流行にも敏感だし、特に新しく日本から来た子はフレッシュな情報を持っていましたね。
ーアメリカの学校では音楽の話はしなかったのでしょうか。
Shohei:最初は吹奏楽をやっていたりして、音楽はきっちりと教育されたものでないといけない、というアイデアのある人やクラシックの先生などがいましたが、少し毛嫌いしていたところもありました。自分は日本の音楽が好きだという自負と自信があって、アメリカにいる人がジャズやロックが好きになるように、僕にとって遠くにあるのですが、日本にすごく憧れて、それしか興味がないと意地を張っていたところがあります。なので、アメリカの学校で音楽の話はしてなかったですね。
ーJ-POPでは弾き語りをされていたのでしょうか。
Shohei:はい。アコースティックギター弾き語りから始めました。
ー弾き語りから今のソロギタースタイルにはどのように変わっていったのでしょうか。
Shohei:僕の年代は皆同じだと思うのですが、押尾コータローさんですね。何ヶ月か遅れてビデオを見てました。「戦場のメリークリスマス」はすごかったです。
ーアメリカにいながら日本のギターファンと同じような感覚ですね。
Shohei:本当にアメリカにいたのかと言われます(笑)。押尾さんの「Starting Point」の曲はよく弾きましたね。そこからレッスンを受けたいと思い、近所でギターの先生に教わりました。クラシックギターのレッスンも、少しですがやりましたね。これが中学から高校くらいです。大学は音大(バークリー音楽大学)だったので傾向が変わっていきます。
ーバークリー音楽大学を選んだというのは、どのような目標があったのでしょうか。
Shohei:高校2年生の時に就職の面接がありました。音楽をやりたいと思っていたのですが、当初はレコードエンジニアになりたかったんです。高校卒業後にどこに行けばいいのかというと、バークリーしか思いつかなかったです。こういう学科がバークリーにしかなかったですね。
ーバークリーでは、レコードエンジニアの専攻をしていたのでしょうか。
Shohei:最初は楽器を選び、その後に専門に分かれる形態です。まずギターを選び、2年間みっちり弾きました。理論も習いましたしね。3年目から専攻を選ぶので、1、2年の時にいろいろ考えます。レコードエンジニアを検討していたので、その説明会に行ったりスタジオに入ったりもしたのですが、なんかしっくりこなかったんです。ギター演奏の授業を受けているうちに、弾きたい、という気持ちが芽生えてきて、レコードエンジニアになるのではなく、ステージの上に立ちたい、ギターをもっとうまくなりたいという気持ちになってきました。
ー1、2年の時はレコードエンジニアは全く関係なく、3年生から専攻が分かれるのですね。
Shohei:はい。エンジニア、映画音楽、音楽ビジネス、作曲などの学科があり、僕はパフォーマンスの学科に入りました。ギタリストになるための学科ですね。最初の2年間みっちりジャズをやりましたが、2年間同じ先生で、ずっと同じ曲やってましたね(笑)。その頃からルーツミュージックに興味をもっていきました。ジャズにもいろいろな系統があり、パット・メセニー、ジョン・スコフィールド、ジョージ・ベンソン、ウェス・モンゴメリーなどいたりしますが、僕はこれらのエレキギター系ではなく、アコースティックのルーツミュージックのギタリストに憧れました。ジャンゴ・ラインハルトなどですね。先生にはジャンゴばかり教えてもらいました。バークリーに入る時、そもそもアコギをやりたいというのは僕しかいなくて、クラス分けのテストの時は僕だけアコギを持っていました。アコギというキーワードでアンテナを立てて、ジャンゴや、デヴィッド・グリスマンのジャズアルバムなどをよく聴いていましたね。
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Shohei Toyoda
1985年静岡県生まれ。
4才の時に父の仕事により渡米。高校を卒業するまでオハイオ州コロンバス市で過ごす。
2004年バークリー音楽院に入学。在学中はGuy Van Duser氏からカントリー音楽におけるサム•ピッキングギターを学ぶ。
2011年アメリカケンタッキー州で毎年行われるINTERNATIONAL THUMB-PICKING Contestにて日本人としては初の3部門総合優勝者, GRAND CHAMPIONに選ばれる。
2012年より京都へ移住。
2012年に全国Finger Picking Dayで最優秀賞、アレンジ賞を獲得。
2013年Walnut Valley Festival INTERNATIONAL FINGER-STYLE CONTESTで3位受賞。
ソロ活動をはじめ、バンドやレコーディングでのサポート等、ジャンルの垣根なく全国各地で音楽活動を繰り広げている。
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「The Hills Have Ears」
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1. It's ok
2. Blessings
3. Selfish Sindbads (by Keisuke Kuwata)
4. Part Time Lover (by Stevie Wonder)
5. Mr. Li
6. Important Things
7. Westland Groove
8. Treelights
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