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ー確かにジャズギターというのはエレキギターが主流ではありますが、バークリーではもう少しアコースティックもいるのかと思っていました。
Shohei:そうですね。僕の代はアコースティックはとても少なかったです。ここで、ジャンゴを教えてくれたJohn McGann(ジョン•マギャン)先生をきっかけに、アイルランド音楽やブルーグラスを知りました。ジョン先生にはフラットピッキングや、ジャンゴらしいコード進行などを教えてもらいました。 そして大学4年生の時に、ようやくカントリーに出会う事になりました。ガイ・ヴァン・デューザーという、チェット・アトキンス直系のフィンガーピッカーが、僕の最後の学期に講師としてやってきました。「やった!」と思いましたね。ようやく僕のツボをついてくれる人が来たと。ガイ・ヴァン・デューザーからチェット・アトキンスのフィンガーピッキングスタイルを教えてもらいました。
ー現在の演奏スタイルというのは、このガイ・ヴァン・デューザーから学んだスタイルということでしょうか。
Shohei:はい。今現在、大好きなスタイルです。全然アメリカンな音楽が好きでなかった僕なのですが(笑)。今はアメリカの泥臭い音楽が好きになってしまいましたね。ふとした出会いではありますが、ガイ先生との出会いはとても大事な出会いでした。
ーそれまでカントリーを全く演奏していなかったのでしょうか。
Shohei:全く演奏していないですね。カントリーというのは日本でいうと民謡とか盆踊りのようなものです。学生時代に民謡とかに興味を持つというのは、なかなか考えにくいですよね。そういう意識がずっとあり、周りもカントリーなんて、という人も多かったです。印象だけでカントリーを見ていたのですが、実際にやってみるとものすごく奥深く、楽しいんです。
ーバークリーを卒業されてからはどのような生活だったのでしょうか。
Shohei:卒業課程というのは難しいものでなく、最後の年にライブをすればいいんです。卒演というものですね。フィンガーピッキングやジャズ中心のライブを行いましたが、卒業後、あらためてどうやって生きていこうというのを考えていませんでした。とりあえず何かしなければいけないので、バイトをしたり、仕事でのバンド演奏をしていました。最初の頃は70年代のファンクミュージックをメインに、カジノやバーでの演奏です。お店でお客さんに踊ってもらうような音楽ですね。フェンダーのエレキギターを弾いて、アース・ウィンド&ファイアーやジェイムス・ブラウンなどを演奏していました。周りはみんな50代の黒人です。2007,8年のことで、一番儲けていた時ですね(笑)。こういったスタイルでないとなかなか稼げないもので、後から僕は一人で演奏するようになりますが、そうするとギャラが発生しなかったり、投げ銭だったりです。仕事としてやるのであれば、カジノのオーナーなど企業に雇ってもらい、音楽をやるというようにしなければいけません。僕らは70年代のファンクミュージックでしたが、他のバンドはヒットチャートをひたすらやってたりもしてました。
ー今の日本ではあまりない気がしますね。昔はキャバレーなどの演奏の仕事などはあったと思いますが。
Shohei:そうですね。アメリカでは今でもこういった形態が一般的です。こういうところからスタートして、大物ミュージシャンに出会ったり、発見されたりすることがあるようです。ただニューヨークやロスの大都市でないといけないですね。
ーバンドの活動から、ソロへはどのように移行していったのでしょうか。
Shohei:バンドではエレキしか弾いていなかったのですが、アコースティックを弾きたいという気持ちはずっと強かったです。バンドをやっている時も、サックスと一緒にアコースティックのフィンガースタイルで、ストリートでの演奏をしていました。そして、他のフィンガースタイルのギタリストを探してるうちに、フィンガーピッキングのコンテストのことも知りました。これが2008年の8月くらいで、9月にイベントがあるということだったので、見学に行ってみました。ここで、田中彬博に会ったんです。
彼がきっかけですね。初めてガチでフィンガーピッキングをやっている人を見ました。一人でのフィンガーピッキングを専門にして、それで食べているという人を見て驚きました。彼が火を点けてくれましたね。これでバンドをやめて、一人でフィンガーピッキングでストリートやったり、バーのオープンマイクに行ったり、コーヒーハウスでBGMを弾いたりということを、ボストンでやっていました。
田中彬博がすごいと思ったのは、コンテンポラリーといいましょうか、ジャズとかのジャンルではなく、彼が作曲した音楽ということです。学校を出ると頭が固くなってしまっていることもあって、何でもできた方がいいという考えになります。エレキもアコースティックもできた方がいいとか、いろいろなジャンルができた方が、お仕事をもらえるものです。なので、田中彬博のような人に会ったことがありませんでした。ジャンルにとらわれず、自分で曲を作るというのがすごかったですね。それしか知らないし、それしかやってないし、それでやっていこうという人、というのに衝撃を受けて、自分もやってみたいと思いました。
アメリカではカントリーやジャズなどはっきりしています。僕がそういう風にしか見えてなかったのかもしれないですが、ジャズはジャズ人、カントリーはカントリー人、といった感じです。人種の壁もあって、ファンクバンドをやっていた人たちは、カントリーを聴くということはありません。僕はアジア人なので、ファンクの方もカントリーの方にもいけます。こういうこともあって、いろいろな音楽に触れられました。白人の方にいても黒人の方にいても違和感がないというか、どちらにしてもアウェーなので(笑)。
田中彬博と仲良くなって、お互い日本とアメリカを行ったり来たりすることになりました。僕が日本に行く時は彼の家に行って一緒にライブをしたり、彼が翌年のウィンフィールドにも出たいということだったので、僕が手配をしました。彼がきっかけで、日本のフィンガーピッキングの状況を知ることにもなりました。ガイ先生との出会いも田中彬博との出会いも、何の計算もないきっかけが重なっています。今、ここにいるのは田中彬博のお陰ですね。
ー田中さんがウィンフィールドの大会に出たのは計3回でしたが、後の2回はShoheiさんが手配していたのですね。
Shohei:はい。電話申込をしました。1月に受付が始まるのですが、なかなかつながらないんです。フィンガーピッキングは人気でしたね。参加者は40人で、ウェイティングのリストもあります。申込をしても、当日現場に行かないという人が多いです。ウェイティングの人は結構出れますね。
なので、日本のフィンガー・ピッキング・デイの方が厳しいと思います。ちゃんとした大会ですよね(笑)。音源審査があるし、曲の規定もあるし、現場に行くとすごく緊張するし(笑)。
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Shohei Toyoda
1985年静岡県生まれ。
4才の時に父の仕事により渡米。高校を卒業するまでオハイオ州コロンバス市で過ごす。
2004年バークリー音楽院に入学。在学中はGuy Van Duser氏からカントリー音楽におけるサム•ピッキングギターを学ぶ。
2011年アメリカケンタッキー州で毎年行われるINTERNATIONAL THUMB-PICKING Contestにて日本人としては初の3部門総合優勝者, GRAND CHAMPIONに選ばれる。
2012年より京都へ移住。
2012年に全国Finger Picking Dayで最優秀賞、アレンジ賞を獲得。
2013年Walnut Valley Festival INTERNATIONAL FINGER-STYLE CONTESTで3位受賞。
ソロ活動をはじめ、バンドやレコーディングでのサポート等、ジャンルの垣根なく全国各地で音楽活動を繰り広げている。
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「The Hills Have Ears」
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1. It's ok
2. Blessings
3. Selfish Sindbads (by Keisuke Kuwata)
4. Part Time Lover (by Stevie Wonder)
5. Mr. Li
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